2010年12月02日

いのちの確かさに生かされる!



フラッシュプレイヤーの見えない方
posted by かたつむり at 21:45| いのちの確かさに生かされる! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いのちの確かさに生かされる! 

ここでパウロが言っている戦いとは私と神との戦い。

どうして戦いが起こったかというと、私が神に対して敵意を抱いているからです。敵って何か。わたしたちが敵であった時というのは、その前の8節で言うと、まだ罪人であった時と言うことです。キリスト教会に来るっていうと、あなたは罪を犯していると言われます。そんな悪いことをした覚えはない。そういう時に罪って何かっていうと、あなたは神を敵としている。

かつて私が長く教えられた説教を聞き続けた竹森満佐一先生がここを説かれた時に、私どもは神と不倶戴天の敵の関わりであったのであります、と言われた。私はびっくりしました。不倶戴天と言う言葉は子供の頃から良く知っている。なぜ知っているかというとやっぱり講談。講談の中に敵討ちの話が出てきます。親のかたきに巡り会うっていうと不倶戴天の仇と言う。共に天をいただくことができない。あんたが生きていたらこっちは安心してられない。あなたを殺すまでは落ち着かない。

そういう関わりに、私どもは神との関わりに生きていたんだ。竹森先生がそう言われてびっくりしたことがあります。でもなるほどなと思いました。

神を敵にまわす。神を信じないと言うことは神を敵にまわすっていうこと。神の御心がわからんということは、神に敵対するって言うことです。私がたとえば自分の家族を愛せないと言って、神の愛の戒めなんかいらんと言って、神に敵対しているのです。神の愛の戒めなどで生きて行かれないと言って、神を敵にまわすんです。

おそろしいことをしている。パウロはしかしその時に、神を敵にまわしたままで生きて行かれないだろう。しかし今生きていられるのはなんでか。あなたのかわりに、イエス・キリストが神の敵になって死んで下さったから、と言うのです。
posted by かたつむり at 20:58| いのちの確かさに生かされる! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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